先月24日は、母の一周忌の法要でした。
菩提寺でお経をあげていただき、そして、住職の講話がありました。そのお話で、
住職の御友人のお母さんが、いよいよ亡くなろうかというとき、ご友人は付き添いのため、お母さんのベッドの横で、ずっと見守っていたのだそうです。しかし、つい、うとうとし、寝てしまったのこと。
次の朝、友人の方が目を覚ますと、親戚の方が、皆泣いているのです。それは、
もう亡くなる寸前のお母さんが、寝ている息子に、最後の力を振り絞り、毛布をかけようをしていたのです。
親の愛情は本当に深いものです。
以上のような話でした。
私の母は、昨年11月27日の昼に亡くなりました。その前日の夜は私が一人で付き添いました。
最後の母の言葉は
「幸一郎、勉強せい。」
母が怒鳴ったのが最後の言葉でした。母は、中卒で学のない自分から、息子たちが、大学を出、塾講師の私、中学教師の弟と、教育関係の仕事についたことを誇りに思っていたようです。
その後言葉を発することなく、旅立ってゆきました。
親の愛は深いものだと理解はしていました。しかし、体全体でその魂を感じたのはその時です。
それから一年。
私は宗教に関心はありません。それは今も変わりません。
しかし、母は側にいていくれると信じて、朝線香をあげ、お祈りしています。
それが、母の愛に対するお返しだと思って。