前回のブログでも書きましたが、昨今の教育の大きな課題は、子どもたちの「自己肯定感」を如何に高めるかという点です。成績がよかろうが、悪かろうが 自己肯定感が低い生徒は何事に対しても前向きなれません。
先日、昨年亡くなった西村賢太の足跡をたどるドキュメンタリーが放映されました。最後の無頼派、私小説家と呼ばれた氏です。その後初めて、氏の小説を読みましたが、結構キツイ、私小説というのは、フィクションではなく、作家の実体験が元になっているので、小説に書いてあることは、氏自身の体験談となります。
数冊の小説を読んで気づいたのは、彼の自分に対する自信のなさ、その内に秘めたプライドの高さ。相手を思いやる気持ちはあるのですが、最終的には自分の感情のママ、自分から見た論理で相手を罵倒してしまうのです。ただ、自分も心根の優しい人間にはなりたいのだけれど。
学校では順位をつけられます。保護者はその順位に一喜一憂し、不安を感じるからこそ塾に行かせます。塾は不安産業です。それは避けて通れません。かく云う私も、成績を非常に気にします。
ただ、心の中のある部分は、成績なんでクソくらえという気持ちがあるのです。私が厳しく怒るのは、姿勢や不正、怠惰、挨拶など社会に出て大切なことです。
まずは、子供の自分の自己肯定感を如何に上げるか、 塾での勉強を如何に楽しく、かつ身になるものにするか。今、考えているのは、集団でもテストを個々の力に合わせ、個別に作成する取り組みです。努力が身になることを実感させる必要があるからです。大変ですが!
夏期講習会は、個別にカリキュラムを組みます。各自の状況に応じて私が組みます。なぜ、講習会は個別にしたのか、それは、個別対応をしなければ、学力の伸長はないと感じたからです。自分で考え、自分で練習をしなければいけないと感じたからです。特に中位層以下の生徒には演習が必要です。自分で考え、そしてチェックを受けます。そして、合格し、次のステップへ進むのです。
合格することで、自分に自信をつけてほしいと思っています。自己肯定感を育んでほしいのです。
私の理想は授業3 演習7 通常授業が3なら 問題演習が7。
成績から逃げることはできません。私達の存在理由の大部分は成績向上 志望校合格なのですから。しかし、それがすべてではないこと踏まえ、子どもたちの指導をする必要があると思うのです。