授業は何のためにあるのか?
ある先生は、盛り上げ、子供たちのテンションを上げるためにあるという。
ある先生は、知的好奇心を刺激するためにあるという。
また、ある先生は、知識を効率的に伝えるためにあるという。
どれも正しい。
私は、子供に沿うためにあると言いたい。
ただ、単に知識やテクニックを教えるだけだったら、映像授業でいい。私は、ある問題に対して、子供の思考がどの方向、道筋に向いているかを瞬時に把握する。その延長線で問題へのアプローチ法を導こうとする。
この問題はこの解き方でやってください。これ以外はだめ。という場合もあるが、それは僕の場合、限定的だ。
指導者は自分の思う方向へ向かせようとする。しかし、それはたいてい上手くはいかない。
私は、子供の思考の延長線上において、答えへ到達させようとする。これは授業でないとできない。やはり、授業においては、教え込む指導は限定的でなくてはならない、やはり導くものでなくてはならない。
そのために、授業は必要なのだ。