熊本市の慈恵病院に設置されている赤ちゃんポスト。一見すると、産んだものの、育てることのできない親にとっての、子の命を守るための、最後の砦となる施設である。
しかし、一見すると、子の命を守るという、何事にも代えがたい完全なる善と思われる施設。しかし、そこにある課題に焦点を当てた本である。
世の中には、一見すると、弱者救済は完全なる善で、それを批判してはならない。という風潮がある。しかし、何も検証をせず、法律的な根拠も曖昧で、批判さえもしてはいけないのは、おかしいのではないか?
熊本日日新聞の記者だった森本氏はこの本の出版前に、現場から離れ、校閲記者へと配転になった。これは著者本人によると、会社側の意図的な人事異動であると主張している。実際のところはわからないが、この本の中身を読むと新聞社の一般的な論調と異なり、病院側の主張や赤ちゃんポストのあり方の問題点を指摘しているし、その根拠として、福祉の現場にいた人間や、ドイツでの取り組みの検証結果、学者の意見、法律上の問題点などを取り上げている。新聞社側としては、社と異なる意見を持つ社員は煙たい存在だろう。
衝撃だったのは、
「中国からやって来た夫婦が、障害のある子を赤ちゃんポストに預けた」という事実である。
これでは姥捨山と同じではないか。自分の子に障害があったからといって、日本まで来て、捨てたのである。倫理的にも、仕組みとしても、問題であろう。
善なら、良心なら、批判されることも、検証されることもないのか? いや、その裏に課題が隠されていることを知っておかなくてはならない。