私塾の在り方

うなぎが200円!食べ放題には大トロ!イベントやタイムセールは何がどこまでお得なのかのぞき見! 出来事

ここ数年ですが、私塾の存在意義についてずっと考えていました。学校教育だけでよいのではないか?難関の受験以外は学校だけでよいのではないか? 私の塾は難関校を受験する塾ではありません。以前は難関校受験を目指して、成績が悪い場合はお断りすることもありましたが、今ななるべく受け入れるようにしています。経営上の問題もあるのですが、それ以上に公教育の限界を感じざるを得なくなっているからです。その受け皿として、私塾の存在があると近ごろ感じるようになったのです。

ヤマゼミに来る生徒はさまざまです。ただ、どちらかいうと、コミュニケーションを苦手とする生徒が多い傾向があります。みんなでワイワイがやがやという感じではありません。そんな生徒たちがほっとする場所、落ち着ける場所がこの塾でありたいと思っています。

私の思想の根本には、人間は自由であり、自由ほど尊いものはない という考えがあります。その自由があってこそ、社会のルールや規範があるはずです。

ただ、未だに日本の教育はそうではありません。ルールがあって、その中で自由がある。法律を守ってこそ、自由が謳歌できるという考えなのです。教育はそこから始まっているのです。したがって、そのルールや規範から外れたものを排斥し、極端な言い方をすれば抹殺しようとするのです。そこには、確固した哲学も思想も、信念もありません。右にならえ、空気が支配するのです。昨今のあの事件の後の企業の対応を見るとはっきりしています。その風の正体は昔はある程度?責任を負う新聞やテレビでした。しかし、いまは無責任なSNSの世界です。

教育の世界もその信念や哲学の上に立ち、個々の子を大切にするその根本から外れているのです。私塾は公教育のこぼれたものを補うために必要な存在です。学校に対して戦いを挑む気はありません、しかし、本質から逸れた教育が行われるのならば、良識ある私塾は立ち上がる必要があると思っています。