教育の本質 ある学習塾コンサルタントのメルマガから

代表の独り言

私が長年購読している 学習塾コンサルタントのメールマガジンから 現在の教育の問題点のついて述べられていました。現場にいる者して、これからの子供たちの教育環境に危機感を抱く者として、彼の指摘に同意します。ただ、私は学力が底辺にいる子たちへの効果的な治療法を見つけてはいないのです。何とかしなくてはいけないと思いながら、塾の経営を行っています。以下は中土井氏のメルマガの内容です。

◇7、8年前に、当時の文科大臣補佐官の鈴木寛さんが、
大学入試改革に対する狙いや想いをインタビューで話していました。
大学入試改革や教育改革の意義について述べていたのですが、
彼の発言を聞いて、当時の私は、大きな違和感を持ったのです。

◇私の違和感は、どこにあったのか。
それは、鈴木氏の考えには、学力底辺層に対する視野がほとんどないことでした。
そして、思考力・判断力・表現力をつけるような教育が素晴らしいのであって、
知識の暗記を求める教育は、意味がないという趣旨でした。

AIに負けないような思考力を育てる、そのために大学入試を変え、高校の授業を変
える、そんな趣旨なのです。
そのインタビューの中で、今でも難関国立大学や私立大学には記述式があるが、地方
の私立大学等にはないので、
「共通テストに記述式の問題を入れなければ、浪人を含めて約55万人の受験生のう
ち、
40万人は引き続き、検索すればわかる知識の習得のために青春を費やし続けること
になります。」と言っていましたが、
このような発言を聞くにつれ、私は、何をとぼけたことを言っているんだと思いま
す。

◇知識の習得が、どんなに難しいものなのかを彼は無視しているのです。
そして、検索するためにすら、知識が必要なこと、また、思考力を発揮するために
は、知識の暗記が必要なこと、
判断力を養うためには、知識を習得する能力がなければ出来ないこと、
このようなことを無視して、彼は、AIに負けないように、人間の能力を高めたいと
いうのです。
大体、入試改革派の人たちは、このような論理で考えていました。というか、私は今
もそう思っています。

◇そもそも、AI自体が、まずは知識の習得をし、ディープラーニングを繰り返し
て、
言語の海の中で意味論上の表現を形成させていくのに、知識の習得を蔑ろにするなど
考えられません。
まずは知識の習得がスタートなのです。

◇そして重要なのは、思考力や判断力、そして表現力には、どうしても知識が必要だ
ということです。
この知識の獲得の過程は、非常に重要な過程なのです。
なぜならば、それを知るだけではなく、活用をしなければ、知識の習得にはならない
からです。
知識は、2つの次元で必要です。
知識を説明するための知識(いわゆるメタ知識)と現実的に知識を活用する知識(い
わゆる実用的知識)です。

◇この知識の獲得過程で得られる副次的な体験が、子ども時代には重要なことなのです
(自分のやりたいことを我慢して勉強する、人の真似をして勉強をする、
中々覚えられないことを一生懸命覚える努力をする、目に見える物差しで競争する等
々)。
この過程の中で青春を過ごすからこそ、子どもたちは大人になっていくのです。
このことを無視しては、教育行為は成立しないのです。

◇そして、もう一つ。
勉強が好きな子と勉強が嫌いな子が、どうしても存在します。
最初から(生まれた時からと言っても良いようですが)勉強が好きな子は、全体の1
0%前後いるそうですが、
その他は、子どもの家庭環境(親の学歴や経済状態等々)で、勉強をやろうとするの
か、しなくてもよいと思うのかが分かれます。
特に、勉強が苦手な子は、答えのないものを勉強することが非常に難しいのです。
これは、1900年代にアメリカの哲学者のジョン・デューイが実証しています。
今でいう総合学習を、シカゴ大学付属小学校に持ち込んで成功を収め、全米の公立学
校に広めたのですが、失敗をしました。
それは、総合学習のような学習に答えがなかったからです。

最初に選ばれた子どもたち(シカゴ大学付属小学校の生徒)は、学力が高く、学習意
欲が高かったのですが、
公立の全国の小学校では全く上手くいきませんでした。
低学力層は、答えの明確にないものにはなかなか取り組めないのです。
このようなことを考えると、思考力だ判断力だと耳に聞こえの良いキャッチフレーズ
で教育改革を推進するのは、
実は、子どもたちの学力分断を起こすためのように思えてなりません。現に、その傾
向はどんどん強くなっています。
2025年、その傾向は、確定的になったといってもよいかもしれません。

◇思考力の前に、判断力の前に、表現力の前に、知識の獲得が重要なことです。
何を言っても、その発言に中身がないものは、意味はありません。
知識の暗記作業を軽視しては、私たちのコンテンツ(自分軸)は、形成されないと思
います。
蛇足ですが、なぜ、日本にGAFAのような企業が出現しないんだと言われますが、
簡単に言えば、必要がないからです。
教育の問題ではありません。強いて言えば、地理的な条件、地政学的条件の違いで
す。
日本のような小さな国で、一億人しかいない国では、必要がないのです。
アメリカのように、広大な国土を持ち、多民族国家で3億人以上の国だから出現する
のです。
教育の問題ではありません。教育で天才を生むことは出来ません。
このような問題設定の仕方にそれこそ、大きな問題があるのです。
安倍政権の時のように、教育実行再生会議のようなものを作って、
大企業や新興の企業を教育行政の政策決定に関与させるのは、大きな問題だと思いま
す。
なにせ、何も教育の本質をわかっていないのですから。

この指摘はいかがでしょうか?

私は上の意見に付け加えたいのは、知識は倫理感の上に成り立つという点を忘れてはいけないと思います。知識や技術は、扱う人の倫理観に左右されるのです。ヒューマニズムなき知識・技術は害でしかないのです。