恥ずかしながら、高校生のとき、将来何になりたいかといえば、マスコミ 放送局か新聞社 アナウンサー、キャスターか記者になれたらと思っていました。
大学に入り、3年生になると就職活動の準備をしなくてはなりません。そこで、アナウンサーの学校に通おうと思い、ある放送局の付属の学校へ入学したのです。3か月ごとの講座だったのですが、半年間通い、そして、費用が高かったので、半年後辞め、あとは自分で発声練習をしていました。(私は九州の方言にはない鼻濁音ができるのです。)
さて、4月になると就職活動が始まります。当時マスコミは人気がありましたし、バブルの崩壊後でしたので、採用人数も限られ苦戦しました。
一次は突破し、二次まではいくのですが、そこからが難しい。私はできればラジオの仕事につきたかったので、できるだけFM局やラジオもやっているテレビ局を受験しました。そして、あるFM局の最終試験、これを突破すれば、というところで、その後の就職活動の方針を転換せざる得ない出来事がありました。
最終試験は音声テストです。ニュース原稿を読むのです。何度も練習したことです、普段通り読んで終了。なんとか合格しただろうと思ったのですが、結果は不合格。頭をハンマーで殴られたような感じで、ショックでへなへなと座り込みました。実は音声試験のあと、営業はどうかと言われていたのですが、それは拒否したのです。会社に不合格の理由を尋ねると「原稿の読みに独特の癖がついている」とのことでした。
一応学校で学んだことを家で復習し、学校に通わない間も練習を欠かさずやっていたのですが、知らず知らずのうちに、癖がついていたのです。我流の練習でかえって悪くなったのです。
そして、自分の癖を直すのが困難だということはすぐに理解できました。そこで、一般職へ切り替える決断をしたのです。(翌年は早々に決まりました。あろうことか、アナウンス学校の母体の局でしたが、自分の名前が学校の玄関に堂々を掲げられているのが、嫌で仕方なかったのを覚えています。)
努力するのは尊いことです。けれど、一人よがりな、誤った方向にベクトルを向けて努力しても結果は出ません。結果を出したいなら、しっかりした先生について、教えを乞うこと。私はよく「まねぶ」と言いますが、師のことをよく真似、教えを忠実にやってみることです。もし忠実にやって結果が出なければ、先生を変えてもいいし、もっと時間をかけてみてもよい。どちらにせよ、我流は危険がいっぱいです。ヤマゼミの先生は経験は豊富です。あとは、塾生がその指示やアドバイスを素直に聞いて、実践できるかにかかっています。
我流はひとりよがりとも読むのです。