両親の死を通して

代表の独り言
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静かに迎えた父の四十九日と母の三回忌。この数年、病と死のために幾度となく帰った故郷。悲しみに満ちたものでしたが、今回でひと区切りです。心の荷が少しずつ軽くなっていくのを感じながら、私は両親が遺してくれたものについて考えていました。

それは、冠婚葬祭以外ではなかなか会えない親戚との再会でした。父と母の入院や葬儀を通して、何年も会っていなかった方々と顔を合わせ、昔話に花を咲かせる。そこには、懐かしい笑い声と、温かい絆が満ちていました。両親は、親戚一同を繋ぐ「鎹(かすがい)」のような存在だったのだと、改めて気づかされました。そして、両親がこの再会を導いてくれたのだと強く感じたのです。

母は生前、「お父さんが亡くなるまでは、死ねない。お父さんが亡くなったら、私はどうでもいい」と語っていました。認知症になった父を案じ、施設に入居した父に会おうとしなかった母。それは父が帰りたくなってしまうからという、深い愛情ゆえの選択でした。

一方、父もまた、母への深い愛を抱いていました。癌で入院した母に会いたい一心で、認知症が進む中でも病院へ通い続けたそうです。コロナ禍で面会が制限される中でも、その想いは父を突き動かしたのでしょう。

幼い頃、夫婦喧嘩ばかりしていた両親を見て、私は結婚とは不幸なものだと思い込んでいました。しかし、50歳を迎えたいま、私は両親が喧嘩をしながらも、深く愛し合っていたことを知りました。

病を患い、互いを思いやりながら逝った二人。その姿は、私に「愛」とは何かを教えてくれました。夫婦の愛とは、何十年という歳月をかけて、時にぶつかり、時に支え合い、ゆっくりと熟成されていくもの。お二人から教えてもらったこの真実はジーンと私の胸に響いています。